星川杉山神社

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宮司さんのおはなし 第33回

明けましておめでとうございます。

平成27年、今年の干支は『乙未(キノトヒツジ)』です。ひつじ年ということで、可愛らしい羊が描かれた年賀状をやり取りされた方も多いのではないでしょうか。温かく優しいイメージを持つ羊は縁起のよい動物ともされているようですが、陰陽五行説に基づく十二支では「ひつじ」は「未」の字を用い、動物の羊とは関連がありません。では、本来の文字である「未」の年にはどんな性質があるのでしょうか。さっそくお話ししていきましょう。

まず「乙未」の「乙(キノト)」についてですが、この文字は「物事が進んで行き詰まり、曲がって止まる」という形を象形文字に表したところから生まれました。事物そのものではなく、抽象的な状態や位置を表す「指事文字」ともいわれます。このことから十干では「乙」を「本来はまっすぐに伸びていくはずの枝や葉が何らかの力によって曲がってしまった」状態と意味付けました。

次に「未」(ヒツジ)の文字ですが、これは「木」の上にもう1本「一」を足した構造になっています。この「一」には「陰を作る、遮る」という意味合いがあるため、「未」は「木のまだ伸びきらない部分」を描いているとされました。木の上部にたくさんの葉が茂っているため空が見えず、日光も下まで届かない、そのため上方に対し下方の枝葉が育ちにくい状況に陥ってしまった…そんな様子を表しているわけです。「未だ~していない」という風に、物事がまだ熟していないことの形容によく使われる文字ですから、ここでも「乙」と同じように、本来は進展していくはずの物事が思うように進んでいかない様相が見えてきます。

昨年の「甲午(キノエウマ)」には「草木の芽が固い殻を破って外へ出る、下から上へと突き上げる力が強まる」という意味がありましたので「改革」や「新体制の発現」が起こりやすい性質の年だとお話ししました。その流れで考えると、今年はそうして生まれた新しい動きを妨げる力が働き、前進できずに止まってしまうということになります。あらゆる面で先行きが見えない状況に陥りやすく、社会の不安も大きくなるでしょう。毎年の干支についてみなさんにお話しするようになって6年になりますが、今年が一番厳しい年だといえるかもしれません。

昨年、当社では境内にある大きな楠(クスノキ)を4本、約100年ぶりに剪定しました。樹齢100年ですから高さは30メートル以上、枝葉も大きく広がって見事な存在感を示していたのですが、一方で古くなった枝木が落下する危険性も懸念されていたためです。そこで専門の業者さんに剪定をお願いしたところ、高い楠の葉の間から日が差すようになり、見違えるように境内が明るくなりました。青空が広がって風通しがよくなり、下の方の枝葉にも日光が届いています。

剪定を行うまではわかりませんでしたが、それまでの楠はまさに「未」の状態でした。こんもりと茂った大木には風格があり、夏は緑陰の涼しさにも恵まれましたが、顔を上げても空は見えず、上の方がどうなっているのか知る由もありません。樹冠が日光を遮って大きな陰を作るので、下の方にある若い枝葉も育たないうちに枯れてしまいます。私は、なるほどこういうことか、と思いました。樹木をそのままの形で残すことも大切ですが、生命の循環を促して若返りを図るためには、時に剪定も必要なのです。大切なことを学ぶよい機会になりました。

もちろん、社会情勢や人間関係は楠の剪定のように単純にはいきません。では紆余曲折を強いられることになりそうな今年、私たちはどのような意識で日々を過ごしていけばよいのでしょうか。

私は、障害のある状況に右往左往せず、自分のペースでベストを尽くすことが大切だと思います。否定的なことばかり考えていては前に進めませんから、壁にぶつかったら立ち止まって考え、その時々に最善と思える方法で再度前進を試みましょう。上手に世渡りしようとするのではなく、曲がったものをまっすぐにできるような革新的なアイデアや再スタートを切るための純粋な夢、そうしたものを大切にしてほしいと思います。

どんな年にも暮らしの中心は家にあり、そこには家族がいます。家族がしっかりと結束していれば、よくないことが起こっても土台まで崩れることはありません。このことを忘れずに、神さまを中心とした家庭生活を充実させ、人として正しい判断のできる自分自身を育てていきましょう。

神さまのご加護のもと、乙未の一年がみなさんにとって得るものの多い年となりますように。

本年も、よろしくお願い申し上げます。

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