星川杉山神社

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宮司さんのおはなし 第34回

桜の季節も終わり、日に日に暖かさが増してまいりました。この春から新天地でスタートを切った方々も、そろそろ周りに馴染んできた頃ではないでしょうか。

当社でも、この春から新たに女性神職をひとり迎え入れました。これまでにも巫女として時折ご奉仕を行っていましたが、今後は神職として毎日の神事に携わり、お詣りされる方々に接していきます。新人が加わることがほかの神職たちにもよい刺激となり、皆がより生き生きとご奉仕できるよう、私も気持ちを引き締めて指導に当たりたいと考えています。

また例年4月には、当社が管理する共同奥津城にて春季恒例祭(コウレイサイ)を行います。今年はあいにくの悪天候のうえとても寒い日でしたので、場所を当社参集殿へ移して斎行いたしました。奥津城とはお墓のことで「奥都城」とも書き、「おくつき」と読みます。そこで今回はこの奥津城を設けた経緯を振り返り、神道におけるご葬儀やお墓の考え方についてお話ししたいと思います。

神道では死を忌みごととしているため、神聖な場所である神社の境内ではご葬儀を行うことも奥津城を設けることもできません。そのため、故人のお家や斎場でご葬儀を行い、霊園などに亡骸(ナキガラ)を埋葬するのが一般的な流れとなります。お墓に埋葬するご遺骨はあくまで亡骸であって、故人の御霊はご葬儀の際に遷霊祭(センレイサイ)を通して御霊代(ミタマシロ)へお遷しし、ご葬儀ののちはお家の御霊舎にお祀りします。御霊代とは白木でできた角型の依代(ヨリシロ)で、故人の諡(オクリナ=お名前)と帰幽された年月日、年齢が記されているものです。神道に馴染みの薄い方には、御霊舎は仏教でのお仏壇、御霊代はお位牌に当たるものと考えるとわかりやすいかと思います。

神道では、亡くなった方の魂は幽世(カクリヨ)と呼ばれる神さまの世界へ遷り、お家の守り神=命(ミコト)さまとして現世(ウツシヨ)に生きるご遺族、ご子孫を見守ってくださる存在になると考えます。ですから永代に渡って先祖をお祀りしていくのはとても大切なことなのですが、戦後、核家族化が進み始めた頃から難しいケースが出てくるようになりました。お子さんのいらっしゃらない高齢のご夫婦でお連れ合いが亡くなった、あるいはお子さんはいらっしゃるけれどお嬢さんで、嫁いだ先が神道とは別の宗教を信仰している…といった事情から、ご遺族のみで奥津城をお守りしていくことに限界や負担を感じる方が増えてきたのです。私も昭和40年代からこうしたご相談を受けることが多くなり、何かお力になれることはないかと考え続けていました。そしてご奉仕を通してお世話になっている横浜霊園よりまとまった区画をご紹介いただいたのを機に、杉山神社として共同奥津城を設けることを決めたのです。昭和53年のことでした。

この「星川杉山神社 共同奥津城」では、春と秋に恒例祭を行います。ご親族に命さまのお写真をお持ちいただき、神籬(ヒモロギ=神座)に御霊をお迎えして、その諡と帰幽された年月日、参列された方のお名前を祭詞に入れ、命さまやご先祖への感謝と敬いの言葉を奏上します。

共同奥津城にお預かりしている命さまのご親族には先述のようにさまざまな事情がおありなのですが、それでも今年は8家族が春季恒例祭に参列されました。こうして命さまやご先祖を皆で偲ぶことで、また新たなつながりや思いが生まれてきます。私たち神職も心を込めてご奉仕を行い、式のあとには皆さんとゆっくりお話しすることができました。

ただ近年では、ご葬儀にお友達や近所の方をお呼びしない家族葬、亡骸をお墓にお収めしない散骨や樹木葬、経済的な理由による宗旨替えなども増えており、そこから新たな問題も生まれています。ではこうした時代に、私たちは人の死というものをどう捉え、どう対応すればよいのでしょうか。次回は神道におけるご葬儀=神葬祭について、その流れと意味、最近多いご相談に対する私の考えをお話ししたいと思います。

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