星川杉山神社

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宮司さんのおはなし 第24回

今年もまた、暑い夏がやってまいりました。最近では連日の猛暑に加え、突然の豪雨や雷などもよく話題にのぼります。昔は“夕立”といえばつかの間の涼をもたらす雨として風韻を感じさせるものでしたが、それもいまでは“ゲリラ豪雨”などと呼ばれて、その被害に目を向けられることの方が多くなりました。

科学技術が発達し、気象予報の精度が上がっても、人は自然をコントロールすることはできません。私たちはみな自然とともに、自然を司る神さまとともに生きているのですから、その声に耳を傾け、適切な対応を取りながら暮らしていきたいものです。

さて、前回はそんな自然を司る親神さまの天照大御神(アマテラスオオミカミ)さまをはじめ、伊勢神宮にお祀りされている神々についてお話ししました。今回はそうした神さまのために行われる重要なお祀り「式年遷宮」についてお話ししたいと思います。

「式年」には“定められた年”、「遷宮」には“新しくした神殿へ神さまをお移しする”という意味があります。つまり「式年遷宮」とは“定められた年ごとに神殿を新たに造り替え、神さまにお移りいただく”という神事のこと。伊勢神宮では式年を20年としており、今年10月の遷宮へ向けて8年前から建て替えを進めてきました。敷地内の東西に全く同じ神殿を建て、20年ごとに新しい神殿へ神さまをお移しするという方法は、1300年前の第1回遷宮といまも変わりありません。この神事には、世代交代によって命を繋いでいく私たちとは違い永遠の存在である神さまに、新しい神殿へ移られることでお気持ちを新たにしていただき、今後も1300年前と変わらない若々しさをもって国を治めていただきたいという“常若(トコワカ)”への願いが込められています。

神殿の建築様式は「唯一神明造り(ユイイツシンメイヅクリ)」と呼ばれるもので、檜の柱と茅葺きの屋根で造られます。使われる木材はおよそ1万2千本。神宮が所有する森林をはじめ、長野県の木曽や岐阜県の裏木曽などから伐り出されます。これらの山は“御杣山(ミソマヤマ)”と呼ばれ、伐採を始める際には山の神さまや木の神さまへのお祀りが行われます。大正時代からは、次代の用材を育てるための植樹も行われるようになりました。また古い神殿を解体した際に出る木材も削り直して宇治橋の鳥居や手水舎の柱などに再利用され、最後まで廃材にすることなく生かされます。

屋根に使われる茅は伊勢の海女さんたちが毎年秋に、遷宮のためのご奉仕として刈り取ってきたものを使います。遷宮に際しては、このように神職のほかにもさまざまな人々がご奉仕を行っています。たとえば御杣山から神宮へ用材を運び入れる「御木曳(オキヒキ)行事」や、伊勢の宮川で集めた白い石を神殿の周りに敷き詰める「御白石持(オシライシモチ)行事」などもご奉仕によるものです。なかでも御白石持行事では普段は立ち入ることのできない御垣内まで進んでご奉仕を行うことができ、毎回20万人にものぼる人々が全国から集まるといわれます。今年は当社の神職もご奉仕に参加し、新しいご正殿の神々しさに圧倒されたと感想を聞かせてくれました。

また遷宮では建物だけでなく、刀や鏡などの御神宝、衣装や櫛などの御装束もすべて作り直されます。どれもが伝統的な手作りに乗っ取って作られますから、20年という式年は技術の伝承という意味でも重要な節目となっています。最初は若手の職人だった人が次の遷宮では一人前の職人として作業の中心を担い、その次の遷宮では若手を育成する立場に回る…という風にして世代交代が行われることで、日本が生み出した伝統美と技術が脈々と継承されていくのです。

このように式年遷宮は、神さまをお祀りするということの原点に立ち戻るための大きな機会となっています。この神事を通してご奉仕の喜びを実感し、日本の伝統文化を見つめ直す人も多いことでしょう。今年、伊勢神宮へお詣りする人は1000万人に達するのではないかと言われていますが、マスコミで特集が組まれたりするのを見るにつけ、その影響力の大きさを感じずにはいられません。

日本の文化や信仰の源にある式年遷宮。2年後には京都の上賀茂神社と下鴨神社、奈良の春日大社でも行われます。私たちの暮らしを取り巻く環境は時代とともに変容していきますが、人として大切にすべき心の原点にはいまも昔もありません。古くから培われてきた尊い精神を、私たちも真摯に受け継いでいきたいものです。

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